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はーとだより
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<ごあいさつ>
 ようやくインフルエンザの流行も過ぎました。例年のことですが、インフルエンザでは関節の痛みや肩、首のこり、寒気(さむけ)などが特徴であり、咳、喉(のど)の痛み、鼻水など普通のカゼ症状が軽い場合もあります。とくに今年は37度前後の熱でもインフルエンザという方が多く、熱がない割りにしんどいというときはインフルエンザを疑って診療しています。ピークは過ぎたものの、とくにB型は例年もう少し遅くまで発症しますので手洗い、うがいを励行してください。

 はーとだよりは基本的に3-4ヶ月に1回発行しており、文才のない私にはこの巻頭言のテーマ選びは一苦労です。作家でない方が新聞などのコラムに週1回のエッセーを載せておられるのはつくづくすごいなと思います。最近の話題ではやはりソチオリンピック。その中でもモーグルの上村愛子選手の「メダルは取れなかったけど清々しい気持ち」というコメントと、浅田真央選手のフリーの演技には感動するとともに、いわば極限状態のときにすべてを出し切れる精神力にはただただ感服するしかありませんでした。総集編などで真央ちゃんのフリーの最後の場面を見るといまだに泣いてしまいます(「この場面で泣かん人はどんな人やろう」と思ってしまいます)。とくに上村選手の「清々しい」という言葉は人生においても中々出てこない表現だと思いました。自分の力を出し切った時には結果に関係なく満足できるということを教えられたと同時に、満足できるためには日々自分の成すべきことをやりきることが大切なのだと改めて思いました。一方、我が国では上村選手の、韓国ではフィギュアのキムヨナ選手の得点が低すぎるといってそれぞれ国内で一時期騒がれていました。気持ちは分かりますがそれが採点競技の持つ宿命であり、その道のプロがコメントするのならいざ知らず、モーグルに至っては恐らく98%の人は4年に1回しか見ていないのにもかかわらず騒ぐ様子は滑稽に思いました。冬季オリンピックは素人目には白黒の決着があいまいな採点競技が多く(単純にタイムで決まる競技の方が「清々しくて」いいと思います)、また夏のオリンピックと違って何となく地味な感じがして始まる前はソチオリンピックには余り関心はありませんでした。しかし、約2週間はあっという間であり、終わってしまうと寂しく感じたのは超人達の迫力に圧倒されたからでしょう。とくに800m近い標高差で全長2713mのコースをときに時速100qを超えるスピードで滑り降りる女子滑降で、1分41秒57と100分の1秒まで同タイムで二人が金メダルを分けあったことはいまだに信じられません(ちなみに3位は10分の1秒差でした)。また出足が悪く心配された日本選手のメダル獲得数も過去最高に迫り、それぞれの背後に様々なドラマがあることを知ることができました。もっとも「感動をありがとう」という日本語には以前から違和感があり、どうもすっきりと入ってきませんが…。

 いささか旧聞に属する話になりましたが、昨年秋に一流ホテルレストランでメニュー表示偽装問題がありました。当初阪急阪神ホテルズで発覚し、社長が「誤表示」と強弁したため辞任に追い込まれました。その後も全国で相次いで同様の事例が明らかになり、そのうちニュースにもならなくなりました。企業のコンプライアンスや料理人のモラルなどが声高に問われ、例によってマスコミ得意の「一点集中弱い者いじめ」が行われていましたが、他の事件よりも何となく追及が鈍いような気がしました。その原因として、あまり追及しているとブーメランのように自分に跳ね返ってくるからではないかと考えました。すなわち「本物かどうかを見抜けなかったくせにエラそうにするな」あるいは「騙した奴は悪いが一流ホテルの料理だといってありがたがって食べていたのはどこの誰?」ということであり、感性に頼らずに「一流レストランだからおいしいはず」と頭で思い込んでいたことを恥じ入る気持ちが誰しも心の中にあるのではないでしょうか。同じことは「偽ベートーベン事件」(嫌な言い方ですが)においても感じました(その後会見に出てきた本人を見てとっさに「偽佐村河内?!」と思ってしまったのは私だけでしょうか)。本来はその曲がいいかどうかが問われるべきであるのに、それ以外の「全ろうの」「被ばく2世の」などの修飾語が先頭にあって評価されたのはないでしょうか。だから「騙された」と怒る訳で、純粋に曲そのものに感動していれば、嫌な気持ちにはなるでしょうが「騙された」という表現にはならないのではないかと思います。また、レストランや映画を探すときに、新聞の記事やインターネットの口コミを頼りにすることが多いと思います。しかし、私自身の経験では実際に食べたり観たりしてみると期待したほどでないこともしばしばあります。そんな時でもあきらめ悪く、「ここは点数が高いからきっと悪くないはず」と思い込もうとしている自分に気づきます。折角の時間を無駄にしたくないという気持ちもあるのでしょうが、これも感性よりも頭を優先させている一例と言えるでしょう。20万円のワインと1000円のワインを飲み比べてどちらが高いか、などを当てる「芸能人格付け番組」は私も楽しんで観ます。この番組の本質的な面白さは、ブランドを取り去って(すなわち頭からの指令を除いて)感性だけで勝負しているところであり、その人の感性がどれほど磨かれているかが試されているところにあると思います。この番組では、「高級なものに触れる機会が多い芸能人が一流(触れていなければそもそも選択できませんから)」と定義していますが、もっと言えば「20万円のワインだからおいしいはず」というのもすでに頭に支配されている訳で、1000円のワイン方がおいしいと思えばそれでいいのです。

 「人間は考える葦である」という通り、考えることが人間の特性であり、私自身も「いつも、もっと考えよう」とスタッフにも言っています。しかし頭でっかちになってしまえば、動物としての人間の感性が鈍ってしまい、却って誤った判断をしてしまいます。何か心配なことや不安なことがあると、大抵悪いストーリーを作り上げ、その勝手に作った悪い将来を思い描いてまた不安のサイクルに入ることはしばしばあることです。また、人を判断するときに学歴や肩書などに目が行ってしまい、本質を見る目が曇ることもあり得ます。物事や出来事の本質をつかもうと考えるために頭を使うことは大切ですが、頭に頼り切らず、直感などの自分の感性を信じることも重要だと考えています。「感性とは何か?」という問いに対する答えは様々にあると思います。私は、「感性はその人の氣から生まれる」と考えています。「氣」は誰でも持っていますが、その質を高めることがすなわち感性を磨くことになると思います。いい氣を発していればいい人達が集まり、周囲が幸せになり、自分も幸せになると信じています。氣の質を高めるためには、「人生は常に修行である」と捉え、我欲を捨て、「忘己利他」の精神と「思いやり」「優しさ」の気持ちを持ち、日々徳を積むことだと考えています。私自身反省の毎日ですが、クリニックのスタッフともどもこれからも氣を高め、クリニックの中がいい氣で満たされるように精進したいと思っています。 

(院長)